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不器用なスター、小林旭のいま。書評「不器用なもんで」(金子達仁)

      2014/09/28

昭和30年代、映画全盛の時代。スクリーンで燦然と輝くスターたちの共演に、人々は熱狂していました。石原裕次郎、勝新太郎、高倉健、菅原文太といったスターたちと並んで、彼も光り輝くスターの1人でありました。彼の名前は、小林旭。映画「渡り鳥」シリーズで脚光を浴び、「熱き心に」「ギターを持った渡り鳥」といったヒット曲を歌う彼は、昭和を代表する大スターの1人でした。

しかし、近年は小林旭の名前をほとんど聞かなくなりました。30代の僕ですら、水曜どうでしょうの「対決列島」という企画で「アキラのジーンときちゃうぜ」「自動車ショー歌」といった歌をかろうじて知ってるくらいです。僕より下の世代になったら、名前すら知らない人がほとんどなのかもしれません。すっかり、「過去のスター」になってしまいました。

石原裕次郎、勝新太郎が亡くなり、菅原文太は映画の世界から離れ、高倉健も何年に1回しか映画に出演しなくなり、かつてのスター達が芸能界の表舞台から姿を消す中、小林旭は何を考えているのか。「かつてのスター」小林旭の姿ではなく、70代になった小林旭の今について書かれた作品が、本書「不器用なもんで」です。

作者は、「28年目のハーフタイム」「泣き虫」といった人物の内面に深く迫るノンフィクション作品を得意としている、金子達仁。金子達仁は主にアスリートのノンフィクション作品を描いてきたので、本書は彼にとって異色の作品といえます。

日常を描く映画、消えた銀幕スター

本書で印象に残ったのは、小林旭のこの言葉です。

いつしか映画が、日常を描くようになった。
そうしてスクリーンに自分たちが普段喋ってるような言葉が出てきた途端に、
観客が「あ、俺たち目立ってきた。俺たちが主役だね」
ってふんぞり返ったよ。

反対に、小林旭が看板を背負っていた頃の日活では、こんな常套句が使われていたそうです。

どぶ板社会で生きている客に、
どぶ板の映画を作っても誰も見ない。

戦後の焼け野原から生活を立てなおしていた市民にとって、映画は数少ない娯楽でした。厳しい現実の中、地を這うような生活をしている市民にとって、自分の日常を見るではなく、銀幕スターと手の届かないマドンナを姿を見ることで、厳しい現実を忘れる。それが、映画という娯楽の役割でした。

ところが、現代の大衆映画は「ALWAYS 三丁目の夕日」「おくりびと」といった、「共感」を大切にする映画が主流です。普通の服を着た登場人物に自分を重ね、「共感」して笑い、涙する。こうして、真っ赤なスポーツカーに乗る銀幕スターはスクリーンから姿を消すようになりました。

また、TwitterやFacebookといったツールを使って、自分の言葉で、時にはプライベートも発信する現代のスターたちの姿は、「素顔がわからない」からこそ魅力的だった過去のスターの姿とは、対極です。時代の流れと言えばそれまでなのかもしれませんが、ここにも「共感」を大切にする現代社会の姿がよく現れています。

今を生きる男の姿

ただ、小林旭は、自分が必要とされなくなった現代に失望をしながらも、残りの人生で「自分に何が出来るのか」を考え、もがいています。小林旭は、本書の中で「あの頃はよかった」「昔に戻りたい」という言葉を全く口にしていません。過去のスターとしての栄光にすがるのではなく、今を必死に生きようとする男の姿が、本書には収められています。

小林旭の現在の姿を、かつてのスターとして嘲笑うのは簡単です。しかし、変化の波に飲み込まれながら、不器用に生きる男の姿にこそ、現代のスターとして、人々に「共感」される部分があるのではないのでしょうか。

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