書評「伴走者」(浅生 鴨)

この小説を読み終えて、僕は自分自身にとって数少ない視覚障がい者と触れ合った経験を思い出しました。

もう10年近く前になりますが、僕は「City Lights」という団体のWebサイト制作に、ボランティアでかかわった事があります。「City Lights」は、映画の視覚的な情報を補う音声ガイドを制作し、映画上映と同時に配信することで、目が見えない方にも映画を楽しんでもらう取組をしている団体です。Webサイトを制作するためには、実際に取組を体験してみる必要があると考え、僕も上映会に参加したことがありました。

目が見えない方と駅で待ち合わせをし、駅から徒歩5分の映画館までペアになって連れて行くところから、まず一苦労。「支えるだけでよいのですよ」「緊張しなくていいですよ」と言われても、視覚障がい者と触れ合った事がない僕は、どうしても緊張してしまいます。「わたしの目になるだけでよいのです」と言われても、言葉で、何を、相手に伝えたらよいか分かりません。

僕は幸い、仕事で「いつ」「どこで」「何を」「なぜ」「どのように」「誰に」といった「5W1H」といった、情報の使え方について、しつこいくらい教えられていたので、仕事で言われた事を思い出しながら対応したのですが、それでも、普段自分がいかに視覚に頼って情報を得て、物事判断しているのかというのを、痛感したのを思い出しました。

そして、映画を観ながら、僕も目を閉じて、音声ガイドを聴きながら、映画を「観て」みました。音声を聴きながら、頭の中で展開するストーリーは、実際の映画とは全く違っていました。

「City Lights」の取組を知るために、視覚障がい者の方がいかにWebサイトを閲覧しているか知るために、音声ブラウザの展示会にも参加してみました。今はスマートフォンがあり、音声読み上げや入力の技術が発達したため、情報を取得する負荷は大分減ったと思いますが、それでも、目で見て情報を判断出来ない人に情報を届けるには何をしなければならないか。コミュニケーションとはどういうものかを考えさせられたことを、この小説を読みながら思い出しました。

なぜ、こんな前置きを書いたのかというと、この小説がとんでもなく素晴らしい小説だったからです。そして、この小説の書評を書くには、どうしても僕自身の体験を書かないと書けない。そう思ったのです。

この小説とは「伴走者」。「伴走者」とは、視覚障がいのある選手が安心して全力を出せるように、選手の目の代わりとなって周囲の状況や方向を伝えたり、ペース配分やタイム管理をしたりする存在の事です。本書には、2組の伴走者と選手が登場します。

障がい者スポーツに取り組む2組

1組は、元サッカー選手で勝利に貪欲で傲慢な視かく障がい者ランナーと、ミスなく走る力を持ちながら「速いが勝てない」と言われ続けたランナー。もう1組は、全盲の女子高生天才スキーヤーと、ピーク時に選手を引退した元スキーヤー。この2組の戦いを描いたスポーツ小説、それが「伴走者」です。

この小説では、2組は対称的な存在として描かれています。ランナーの方は、障がい者のほうが勝利に貪欲ですが、スキーヤーのほうが伴走者のほうが勝利に貪欲です。ランナーが時折みせる「相手を騙してでも勝つ」姿勢は、僕自身アスリートと話していてもよく理解できる話であり、実際にそんな話が出てきたりします。読みながら、僕は勝手に大久保嘉人と照らし合わせてしまいました。

ランナーの方は男と男の組み合わせですが、スキーヤーは男と女。男と女の組み合わせということは、当然恋愛の要素も盛り込まれているのですが、2人の恋心の行方を追いかけているだけでも、面白い小説です。むしろ僕は、スキーヤー編の方は、読みながら後半は恋愛の行方が気になってしまいました。僕はスキーヤー編の方が好きです。

淡々とした文体

文体はとても淡々としていて、声高に感情を煽ったり、場面を切り取ったりすることはなく、どこか起こっている事象を観察し、記録しているような文体になっています。しかし、淡々としている文章だからこそ、登場人物の感情の起伏、感じている事がリアルに感じられ、自分自身の体験や経験を思い出し、揺さぶられる。そんな小説になっています。

この小説を書いたのは、浅生鴨さん。NHKの職員として、Twitterアカウント「@nhk_pr」を始めた方としても知られています。Twitterの時の人間味のあり、くすっと笑ってしまう文章とは違い、小説では淡々としつつも、温かみのある文章を書いています。僕は目が見えない登場人物の感情の起伏を描くには、こうした淡々とした文章の方が読みやすいと思いますので、とても好感がもてました。ただ、「ほぼ日刊イトイ新聞」で先日連載されていたこの記事を読む限り、同じ人が書いたようにも思えませんでしたけど、それはここだけの話し。

自分自身にとっての「あたりまえ」を疑いたくなる

本書を読んでいると、「コミュニケーション」ってなんだろうと考えさせられました。

普段「コミュニケーション」と呼んでいて、自分はきちんとやっているつもりだけれど、「人に何かを伝える」という行為を、粗雑にしているのではないか。自分が伝えたいことを「相手は理解している」という前提で話していないだろうか。そんなことを考えさせられました。自分自身にとっての「あたりまえ」を疑いたくなる、そんな小説です。

僕は、たまたま自分自身に体験があり、ブラインドサッカー協会を支援していた方が知り合いだったりと、視覚障がい者の方のことを考える機会がありましたが、他の人はほとんどないと思います。スポーツ小説としても楽しめる小説なので、ぜひ読んでみてください。