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天才の育て方-加藤陽一はどのように育てられたのか-

   

いつの世にも、どんな分野にも「天才」と称される人がいます。自分たちの価値観、あるいは想像から外れた人の事を「天才」とよぶのであれば、そんな「天才」はどのようにしてうまれるのか。その事を解き明かそうと試みたのが、吉井妙子さんの著書「天才は親が作る」です。

「天才は親が作る」には、10人のアスリートの親たちのインタビューが収められていますが、そこには数多くの共通点があったといいます。親たちは特殊な才能ではなく、どこにでもいる平凡な親ですが、子供に対する愛情のかけ方や接し方がちょっとだけ違ったというのです。

そこで、「天才は親が作る」で取り上げられているアスリートのエピソードから、親たちは「天才」と呼ばれる人物をどのように育てたのか紹介します。今回はバレーボールの加藤陽一のエピソードです。

足の裏と手の感覚を磨く

加藤は、大分市で日本茶の販売業を営む家の長男として産まれました。余談ですが、大人になって大成するアスリートの両親は自営業が多い気がします。自分の道は自分で切り開かなければならない点で、共通するところがあるのでしょうか。横道にそれましたが、加藤は高校までバレーをやっていて、子供が生まれてからもママさんバレーをやっていた母親の影響で、バレーを始めます。

実家が自営業だったため、加藤は1歳半から保育所に通わされました。その保育所は裸足を励行していたため、真冬でも風邪をひかない限り裸足だったでそうです。そして、裸足でいることが当たり前になった加藤は、小学校6年生まで裸足で通しました。靴をはくのは通学の往復だけだったといいます。足の裏を刺激することで、神経の発達が促されるといわれていますが、加藤は自然と神経の発達が促される環境で育ったというわけです。

加藤は小学校の頃から、店の手伝いをしていたそうです。後々、お茶の葉を煎る音頭や、袋に入れる容量をグラム単位で手先で計れるようになったそうです。手は、足と同じように末端神経が密集している箇所のため、小さい頃に刺激を与えれば、手先はさらに器用に動かすことが出来ます。加藤選手はボールタッチの柔らかさに定評があった選手ですが、それはこんなエピソードからも窺えます。

子供を怒ったのは1回だけ

ちなみに、両親が加藤を怒ったのは、わずかに1回だけ。小学校3年生の時、約束した勉強の時間になってもまだテレビを観ていたため、父親が一度だけ殴ったというのです。子供を四六時中怒っている家庭では、叱った理由などいちいち覚えていないが、加藤家にとってはこの一件が重大な事件として、両親・子供の記憶に刻まれています。

母親がコーチになる

加藤は、中学に入学するとバレー部に入部します。しかし、バレー部はそれほど部活動に熱心ではなく、部員も全学年合わせても試合が出来るぎりぎりの人数しかいませんでした。加藤のバレーがしたいという思いを汲み取った母親は、中学校にコーチとして参加させてもらえないかと打診し、コーチになります。

お店を5時半に抜けるために、接客の合間をぬって、夕食の準備をし、自転車で中学校に向かい、男子生徒を集めてバレーの練習をすることを、加藤が卒業するまでの3年間毎日行ったそうです。家事をこなし、店に立ち、中学校の男子生徒相手にバレーの練習をするのは、情熱はもちろんのこと、体力がなければ続きません。しかし、加藤の母親は「楽しかった」と振り返ります。

加藤には、県外からの強豪校からの誘いもあったそうですが、高校は自宅から電車で30分圏内にある大分工業高校に進学します。高校のバレー部の監督は、「高校に入学した時には、もう何も教えることはなかった」と語っていたそうです。中学の時の練習が、バレーボーラーの加藤陽一を作り上げたのです。

毎日賑やかな夕食

加藤は毎日判で押したように、午後7時半に帰宅したそうです。母親はその時間にあわせて、テーブルいっぱいにおかずを広げます。加藤のおかずは皆より3〜4品多かったそうです。加藤家の夕食は、妹も含めて一家四人顔を揃えて摂るのが常でした。父親の「今日のバレーの練習はどうだった」という言葉を皮切りに、毎日賑やかな夕食だったそうです。

素直な子供は先生にも可愛がられる

加藤は、高校の先生たちにも可愛がられたそうです。志望校を筑波大学の推薦枠に決めたものの、論文試験に通るかどうかは危うかったそうです。

そこで、高校3年生の夏休み明けから先生たちがタッグを組み、論文の指導と面接試験のために、一般教養を植え付ける特訓が始まりました。もちろん、先生たちもボランティア。加藤は毎日作文を書かされ、添削され、一対一で話す練習をしたそうです。

3ヶ月を過ぎた頃、加藤の特訓につきあった先生から「絶対合格する」というお墨付きをもらい、筑波大学に合格します。こうした、熱い支援をうけられたのも、加藤の性格のよさもありますが、両親が屈託なく育てたからだとも言えます。

コンビニエンスストアに行ったことがない大学生

加藤の母親は、筑波で一人暮らしをする息子に、半月分の料理をフリージングにし、月2回のペースでクール宅急便を送り続けました。バレー以外の余分な事に煩わせたくない、という配慮からでした。月2回のクール宅急便のお陰で、加藤は筑波で暮らした4年間で、コンビニエンスストアにほとんど行ったことがなかったそうです。

素直な子供は良好な夫婦関係から

大学生にもなると、男の子は家族とそれほど会話をしなくなるものですが、加藤は四六時中電話してきては、母親と30分以上も話をしていたそうです。加藤家は、一般的な父親と母親の役割が逆転した家でした。加藤が子供の頃、父親がモーツアルトやシューベルトを歌いながら寝かしつけ、小学校に上がる頃から家庭教師を務めたそうです。一方、母親はスポーツの才能を開花させ、精神的な支えにもなりました。

ちなみに、加藤の両親は、夫婦喧嘩をほとんどしたことがないのだそうです。子供の前ではしなかったというのではなく、お互いに「相手が我慢していたのかも」と言いつつ、喧嘩する理由がこれまで見つからなかったのだと言います。子供を屈託なく育てるためには、まず夫婦関係が良好であることが重要なのです。

加藤陽一の育て方から学べること

  • 幼少期に足の裏と手の感覚を磨いておく
  • 子供を叱る理由なんてほとんどない
  • 子供を育てるために、環境を整える。時には、自らコーチもする。
  • 一家団欒は家族関係を築く基本
  • 素直な子供は良好な夫婦関係から

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