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天才の育て方-川口能活はどのように育てられたのか-

      2014/02/01

いつの世にも、どんな分野にも「天才」と称される人がいます。自分たちの価値観、あるいは想像から外れた人の事を「天才」とよぶのであれば、そんな「天才」はどのようにしてうまれるのか。その事を解き明かそうと試みたのが、吉井妙子さんの著書「天才は親が作る」です。

「天才は親が作る」には、10人のアスリートの親たちのインタビューが収められていますが、そこには数多くの共通点があったといいます。親たちは特殊な才能ではなく、どこにでもいる平凡な親ですが、子供に対する愛情のかけ方や接し方がちょっとだけ違ったというのです。

そこで、「天才は親が作る」で取り上げられているアスリートのエピソードから、親たちは「天才」と呼ばれる人物をどのように育てたのか紹介します。今回は川口能活のエピソードです。

自由にのびのびと

川口の母親は、川口をどのように育てたかについて、こう語っています。

別に、どんなふうに子育てしようとか明確な理念なんてたかったですよ。
ただ、子供がやりたがることを「ダメ」と言下に否定するようなことはしませでした。
自由にのびのびと。これに尽きるんじゃないですかね。

河口は静岡市富士市に産まれました。父はトラック運転手、2歳上の兄が1人の4人家族。3歳の頃から近所の遊び仲間を統率するガキ大将で、坂を子供用の三輪車でいかに早く下りられるかが、子どもたちのアイデンティティになっていたそうですが、そこでいつも一番を張っていたのが川口だったので、自然とガキ大将になっていたそうです。

善悪は行動で判断させる

川口の母親は、たった一度だけ、川口を叱ったことがあるそうです。

幼稚園の頃ですが、能活がブランコを独り占めにしているので、
友達にも譲ってあげなさいと注意した所、
いきなり蹴られたのでその時はさすがに叱れました。

友達を泣かして謝りに行く時は、息子を叱る替わりに一緒に連れて行き、善悪を行動によって判断させたそうです。川口の母親は、子供の言動を目をやっていれば、叱ることは「ほとんどない」と言います。

子供が親に何かを訴えたり、
聞いてきた時に「それはダメよ」とか、
「この次にしよう」とか話していれば、
子供を叱る理由なんてないと思いますけどね。
子供が突然何かをするから親は驚いて大きなこえを上げてしまうんであって、
いつも注意を払っていればその前に止めることが出来るでしょ。

兄弟喧嘩は止めない

小学校に上がるまでは、兄弟げんかも絶えなかったそうです。ゲームの奪い合いやテレビのチャンネル争い。どこの家庭でも繰り広げられる光景です。母親は時には仲裁に入ろうとしたこともあったそうですが、その度に父親に止められたそうです。川口の父親は、一人っ子だったため、子供たちの兄弟喧嘩が羨ましかったからです。

喧嘩していても、ちゃんと2人で着地点は見つけ出しているんですよ。
兄弟喧嘩はそもそも、予定調和の喧嘩ですからね。
親が口出しするほどのことでもないと思っていたんです。

両親の背中を見て、子供は育つ

川口は小学校3年生の秋に、小学校のサッカー部に入り、サッカーに夢中になります。授業が終わる午後3時から4時半までは部活、4時半から6時半まではスポーツ少年団の活動に切り替わって練習し、土日は試合。一日の半分近くを小学校で過ごしました。当時から、ポジションはGK。小学校4年生で、既に5・6年生で構成するトップチームの正GKを任される程になります。

そんな、充実した川口の人生に転機が訪れたのは、小学校5年生の時です。川口は当時のことを振り返って、こう語っています。

授業中に友達が「火事だ」と言うので窓の外を見たら、
うちの方向で煙が見えた。
まさか、と思いつつも先生と駆けつけると、
家が火に包まれていました。
誰もいなかったので、全て焼きだされていたんです。

自分の家が火事になる。衝撃的な光景をこの眼で見たら、子供の心にトラウマになりそうですが、心の傷として残らなかったのは、父親の姿勢でした。川口はこの時、父親からへこたれない精神を学んだと言います。

父はすぐ「失ったものに思いを馳せても仕方ない。
父さんが働いて家をまた建てるので、
お前たちは勉強なり、サッカーなり一生懸命やれ」と言った。
何かを失っても、努力すればまた新しいものを手に出来るということをこの時に知った。

仮住まい生活を続けながら、父と母は懸命に働きました。父は危険だが給料の良いタンクローリーにハンドルを替え、母はパートの時間を増やしました。父親が新しい家を建てたのは、その1年後のことでした。

川口の夢を支えた家族

川口は、小学校6年生の時にサッカーで生きていくとはっきり決めていました。そのため、中学は静岡市内にある東海大一中に行きたがりました。圏内で最もサッカーが強い中学であり、何より多くの選手を育て上げていた桜井監督の指導を受けたかったのです。

だが、家は新築したばかりでローンを抱え、勉強の出来る兄は私立高校の受験を控えていました。自分と兄を私立に行かせる余裕がないことは子供心に分かっていましたが、それでも自分の希望は諦めきれません。ある日、川口は夕食の後に「東海大一中に行きたい」と切り出しました。

父と母は、こう答えました。
「あのね、能活。地元の中学校でも、一生懸命にやればサッカーは上手くなると思うよ」

川口は両親がどんな辛い思いをして、そんな言葉を言っているのか痛いほどよく分かっていました。そんな茶の間の空気を払拭したのは、兄のこんな一言でした。

「僕が公立に行く。その分のお金で能活の希望を叶えてあげて」

家族が自分のサッカーのために犠牲になってくれている。こんな家族のために、絶対に日本一のGKになってやると小学6年の川口は思ったそうです。

川口は東海大一中に希望通り進学します。桜井監督は、理論的な指導で知られた指導者でしたが、川口には敢えて理論から外れたような無理難題を押し付け、反応を観察したそうです。GKが大成するには、苦しいことを乗り越える必要があり、自分が正しくとも我慢し、自分を失わない。そういうGKに育てたかったからだといいます。川口は泣き言ひとつ言わなかったそうです。

練習を頻繁に観に行っている父兄から、「オタクの息子さん、かわいそうなことになっている」という忠告が何度も届けられたそうですが、二人共無視しました。川口の父親はこう考えていたそうです。

僕らは、子供をほとんど叱らないできましたので、
どこかの機会で厳しい側面に出会うのも子供の成長には必要だと思うんです。
何より、能活が家で泣き言を言わなかったので、
厳しくとも桜井先生になにかシンパシーを感じていたんだと思うんです。

しかし、両親ともども心配が消えたわけではありませんでした。父親は、迷惑にならない程度に息子のサッカーに関われないかと考え、思いついたのが遠征バスの運転手役です。初めは土日の週二回でしたが、そのうちウィークデイにも試合があったので、有休を消化するどころか、欠勤せざるを得ない時もあったそうです。

母親も毎朝5時に起きて弁当を作り、車で川口を駅まで送り、それからパートに出て、夜も川口を迎えに駅に行く。そんな生活を3年間続けたそうです。しかし、身体がきついと思ったことはなかったといいます。朝晩の駅までの往復時間が息子とゆっくり話せる楽しい時間だったからです。先生のこと、友達のこと、ガールフレンドのこと、何でも語ってくれたそうです。

私達ほど平凡な親はいない

川口は高校は清水商業(現在閉口し、静岡市立清水桜が丘高等学校に)に進学。小野伸二、名波浩など多くのトップ選手を育てた大滝雅良監督は、川口のパフォーマンスを見て、1年生の時から川口中心のチームを作ろうと思ったそうです。高校1年、2年の時の夏休みには、将来を見据えてブラジル留学をさせ、3年生はブラジル人GKコーチを高校に招聘しました。これ以上ない環境を大滝に作ってもらったといえますが、大滝はなぜそれほどまでに川口に情熱を傾けたか、一切を語ろうとしません。その代わりに、このように語っています。

川口が今あるのは自分の努力の結果で、
僕なんか語ることは何もないです。
敢えて言うなら、ご両親の教育が良かったんじゃないんですか。
素直で真面目で忍耐力もあり、そして謙虚。
人間が伸びる素養は、ご両親が作られた。

川口の父親と母親は、「私達ほど平凡な親はいない」といいます。自分の子供が有名になると、親も世間からお世辞の波に乗せられたり、やっかみの対象になったりします。しかし、川口が有名になっても、川口の両親はひっそりと暮らしているそうです。平凡を貫き通す非凡さを両親から受け継いだからこそ、川口はサッカー選手として成功できたのだと、改めて感じるのです。

川口能活の育て方から学べること

  • 自由にのびのびと
  • 善悪は行動で判断させる
  • 兄弟喧嘩は止めない
  • 子供の夢は家族で支える
  • 平凡を貫き通すことが非凡さにつながる

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