nishi19 breaking news

スポーツでもっと楽しい未来を作る

天才の育て方-武双山はどのように育てられたのか-

   

いつの世にも、どんな分野にも「天才」と称される人がいます。自分たちの価値観、あるいは想像から外れた人の事を「天才」とよぶのであれば、そんな「天才」はどのようにしてうまれるのか。その事を解き明かそうと試みたのが、吉井妙子さんの著書「天才は親が作る」です。

「天才は親が作る」には、10人のアスリートの親たちのインタビューが収められていますが、そこには数多くの共通点があったといいます。親たちは特殊な才能ではなく、どこにでもいる平凡な親ですが、子供に対する愛情のかけ方や接し方がちょっとだけ違ったというのです。

そこで、「天才は親が作る」で取り上げられているアスリートのエピソードから、親たちは「天才」と呼ばれる人物をどのように育てたのか紹介します。今回は大相撲の武双山のエピソードです。

武双山は多くの力士のように身体が子供の頃から大きかったわけでも、父が関取だったわけでもなく、どちらかと言うと小さくてひ弱な子供だったそうです。そんなひ弱な子供が、”平成の怪物”と形容されるまでに成長した育て方とは、いったいどのような育て方だったのでしょうか。

腕立て伏せ30回を1ヶ月毎日やりとおした武双山

茨城県水戸市で従業員50名ほどの建設会社を経営していた武双山の父親が、息子から「相撲を教えてくれ」と言われたのは、小学校4年生の時です。それまでの武双山は、近くの川で魚釣りをしたり、近所の子供たちとソフトボールに興じたり、身体を動かすことは大好きだったが、相撲に興味を持っているとは思えなかったそうです。

武双山の父親は、会社経営の傍ら、当時茨城県相撲連盟理事をしており、アマチュア選手として11回、指導者に転じてからも5回、国体に出場したことがあったそうです。武双山の父親は、息子が相撲に興味をもってくれたことは嬉しかった反面、仕事が忙しく、子供に付き合っている暇はないと思い、煩わしいと思う部分もあったそうです。

そこで、父親は「腕立て伏せ30回毎日やり通したら教えてやる」と言ったそうですが、武双山は本当に1ヶ月やりつづけました。おそらくその時の武双山は、相撲がやりたいというより、父親と遊びたかっただけなのだと思います。しかし、どんな理由であれ、息子と約束したものは父親として破るわけにはいきません。覚悟を決めました。本格的に相撲をやるために、東京の専門店から廻しをとりよせ、土俵も実物と同じ直径4.55mのものを庭に作りました。さらに、土俵の側にはテッポウをつくためのヒノキの柱を立てました。

激しい稽古

稽古を始めたからほどなく、圏内の少年相撲大会に出場した武双山は、きわどい判定の末、1回戦で敗退します。納得できなかった武双山は「お父さん、僕は今、勝ったよね」と訴えました。しかし、父親は毅然と「勝ったようにも見える。でも、誰が見ても勝っているというような相撲をとらなきゃダメなんだ」。

ここから地獄の日々が、始まりました。小学校4年生の武双山は、身長143cmで37kgと他の子供と比べても小さく、あぐらもかけないほど柔軟性もありませんでした。父親は鬼のようなメニューを考えました。朝稽古は5時半から。柔軟体操から始まり、腕立て伏せ、四股踏み、バスケットボールの中にコンクリートを詰め込んだ特製のボールを抱え200回の屈伸運動、すり足で200m、そして四股を踏んだ体制でのうさぎ跳び。夕方4時半からは実際に廻しをつけ、土俵に上がっての稽古を行いました。四股、申し合いを1時間。そして最後の仕上げは、古タイヤを利用して作った、重さ100kgの「特製ぶつかりマシン」を6m動かすのを30往復やったそうです。

稽古以上につらい食事

朝稽古が終わるのが6時半。そして朝食が大変でした。父親自ら腕をふるい、身体を大きくするための食事を武双山に与えました。例えば、牛乳2本、野菜ジュース、チーズ4個、目玉焼き2個、ステーキ2枚、焼き魚たっぷり、生野菜とおひたしをボウルで山盛り、ご飯2膳。大人2人分の朝食を食べきらなければ、学校に行くことは許されませんでした。

父親は、自分で作っておきながら、これだけの分量の食事を子供の胃袋におさめるのは、どれだけ辛いことか分かっていました。だから、わざと見て見ぬ振りをするので、台所に捨ててくれたらどんなに気が楽か、と思ったこともあったそうです。しかし、武双山は食べ終わるまで席を立とうとはしませんでした。昼の弁当も父親が作りました。二段重ねの特大弁当です。玄関を出る時はそれをもたせ、さらにはポケットに煮干をねじ込み、おやつに食べさせることで、カルシウムを摂らせようとしたのです。

やってることは、虐待と変わらない

食事を食べ終わるのは1時間かかるため、集団登校には間に合わず、いつも1人で登校。父親は、学校に向かう武双山の姿を車でそっと追い、後ろ姿を見ながら涙することもあったそうです。そんなある日、5歳上の姉が父親に猛然と抗議してきました。

お父さんは稽古だ、修行だと言っているけど、どう見たって稽古なんかじゃない。
やっていることは、虐待と変わらない、

しかし、父親の心配や姉の抗議をよそに、武双山は夕方4時半になると必ず家に戻ってきました。どんなに友達と楽しく遊んでいても、時間に遅れることはなかったそうです。家族旅行に行っても、妻や娘に嫌な顔をされながら、腕立て伏せや四股、テッポウのトレーニングを黙々とこなしたそうです。

その一方で、師匠と弟子の関係は稽古の時のみ。練習が終われば、2人で風呂に入って、背中を流し合いながら、父と子の顔を見せ、学校のこと、友達のこと、テレビ番組のこと、なんでも話し合ったそうです。実は、相撲の稽古を始めるまでは、父親の方が息子には甘かったそうです。

武双山は後にこう語っています。

学校から家に帰るのが嫌な時期もありました。
道場だったら休めるけど、家だから帰らないわけにはいかない。
でも、親父は試合で勝つとおもちゃを買ってくれたり、
稽古の時も褒めてくれたりするので、それが嬉しかった。
(中略)
僕はそれに、上手く乗せられちゃったのかも。

父と師匠のバランス、言い換えれば本能と理性のバランスが少しでも崩れたら、稽古を途中でやめていたか、息子の性格形成に問題が生じていたかもしれません。そのバランスが保てたのは、息子に対する愛情の濃さ、大きさゆえだったのだと思います。

息子に注ぎ込んだエネルギーがあれば、二部上場していたかもしれない

その後、順調に成長した武双山は、高校3年生の時にはインターハイでも優勝し、高校横綱の座にも輝き、大学入学後はアマ横綱のタイトルを獲得しました。武双山の父親は、一貫してメディアに出ることを嫌がったそうです。それは、「今あるのは全て息子の努力に立脚したもので、私は環境を作っただけ」だからと言います。こう考える父親は少なくなく、本田圭佑の父親も決してメディアには出てきません。

そんな息子にかけた時間と情熱について、父親は「息子に注ぎ込んでいたエネルギーを会社に向けていたら、今頃は二部上場していたかもしれない」と語ります。社員の協力があったからこそ、子育てに没頭できたという武双山の父親は、息子の独り立ちを見守った後、自らの会社の成長に力を注いでいます。

武双山の育て方から学べること

  • 子供との約束は煩わしいが、約束したら本気で取組む
  • やるならトコトン、徹底的にやる
  • 親と子の関係あっての厳しさ
  • 子供の成果をひけらかさない
  • 子供を育てるのは、エネルギーがいる。会社を上場させるのと同じくらいの。

関連記事

天才の育て方-加藤陽一はどのように育てられたのか-
天才の育て方-杉山愛はどのように育てられたのか-
天才の育て方-丸山茂樹はどのように育てられたのか-

関連商品

 -