天才の育て方-清水宏保はどのように育てられたのか-

いつの世にも、どんな分野にも「天才」と称される人がいます。自分たちの価値観、あるいは想像から外れた人の事を「天才」とよぶのであれば、そんな「天才」はどのようにしてうまれるのか。その事を解き明かそうと試みたのが、吉井妙子さんの著書「天才は親が作る」です。

「天才は親が作る」には、10人のアスリートの親たちのインタビューが収められていますが、そこには数多くの共通点があったといいます。親たちは特殊な才能ではなく、どこにでもいる平凡な親ですが、子供に対する愛情のかけ方や接し方がちょっとだけ違ったというのです。

そこで、「天才は親が作る」で取り上げられているアスリートのエピソードから、親たちは「天才」と呼ばれる人物をどのように育てたのか紹介します。今回はスピードスケートで日本人初の金メダルを獲得した清水宏保のエピソードです。

清水宏保は、98年に長野五輪で金メダルと銅メダルを獲得し、2002年のソルトレイク五輪では銀メダルを獲得。98年から05年まで、500mの世界記録を保持するなど、2010年に引退するまで輝かしい成績を残しています。

清水宏保はアスリートとして、決して素質に恵まれていたわけではありません。身長は162cmで、喘息の持病を抱えています。スピードスケートの短距離は、足の長さにスピードが比例するため、身長の高い選手がほとんどにも拘わらず、これだけ輝かしい成績をおさめることができたのは、清水選手が勝つために得た知恵と、知恵を実行するために自らに課した過酷なトレーニングです。

そんな清水でも、高校2年の時に癌で亡くなった父親の域には、達していないといいます。清水選手の父親は、息子をどう育てたのでしょうか。

貪欲にトレーニング方法を学んで実践

清水は、姉2人、兄1人の4人兄弟の末っ子として北海道に産まれました。父親は、北海道帯広市で小さな建設会社を経営していました。清水は、足が立った頃からぴょんぴょん飛び跳ねまわるのが好きで、タンスを開けてはそこから飛び降りたり、ソファーのクッションでジャンプして遊んだりするのが好きな子供だったそうです。

普通なら子供を注意してやめさせるところですが、清水の父親は「やらせておけ」と注意することはなかったそうです。この時、既に父親は清水が瞬発系のスポーツがむいていると、判断していたのです。

清水がスケート靴を履いたのは、3歳。誰も教えていないのに、氷の上に立つ息子の姿を見て、父親は息子の潜在能力に気付きます。それ以来、息子の指導に夢中になります。

遺伝的にそれほど大きくならないと予想した父親は、息子に四股を踏ませ、股割りをやらせ、股関節を柔らかくすることで、例え身長が低くとも、身体の大きい選手とストライドの幅が一緒になると考えたからです。大相撲をヒントに、身体の差をカバーするのは柔軟性だと考えたのです。

清水の父親も、イチローの父親同様足裏の刺激にかかわりました。海に連れて行かれては海岸を素足で走らされ、学校から家に帰ると、必ず下駄に履き替えるように命じられたそうです。家の中では、足の指先でタオルを掴む運動を毎日やらせました。足裏を鍛えることで、氷を掴む感覚が鍛えられたのです。

父親の知識欲は旺盛で、全日本クラスのスケートの大会に出向き、コーチたちの話を盗み聞きしてはメモし、トップ選手の滑りを収めてフォームを研究し、息子に試したそうです。シーズンオフの自転車のトレーニングやローラースケートのトレーニングを帯広地区で一番早く取り入れたのも、清水兄弟でした。

末期癌を宣告されても息子を指導

清水が小学校2年生の時に末期癌を宣告された父親は、そのまま病院を抜け出してきました。それ以降、父親は清水に厳しく指導するようになります。朝は早朝5時半から学校に行くまで、夕方は下校してから2時間ほど身体を動かしました。

父親は仕事を早めに切り上げ、午後4時になると自宅で息子の帰りを待ったそうです。夏はストレッチやランニング、自転車。冬になると氷上トレーニング。この日課は、清水が高校に進学するまでの8年間続けられました。友達と遊びたいはずの清水も、父との時間を優先させていたそうです。

人情に弱く、人情に救われる

清水の父親は人情に弱く、未集金が100万円あったある家に行ったら倒産していて、電気も水道も止められていたのを見かねた清水の父親は、集金して手元にあった100万円を全部置いて来ちゃった、なんてこともあったそうです。しかし、巡り巡ってその100万円で今度は清水が助かる事になります。

大学2年生の時、ナショナルメンバーに選ばれたものの、海外を転戦する資金がありませんでした。そんな記事が道内の新聞にのったとき、札幌の食品会社の社長が遠征費用の肩代わりを申し出ます。清水の父親から100万円を置いていかれた人が会社の従業員になっていて、社長に援助をお願いしたというのです。清水はこうした父親の人柄に支えられて、成長していったのです。

否定され続けたスケーターを支えた味方

清水は、毎年毎年「あの身長では、これ以上の成績は無理」と言われ続けたのだそうです。その度、父親は「小さい人は速く走れないなんて誰が決めたんだ」と唇をかんでいたそうです。清水は、その当時を振り返って、このように語っています。

スケート少年団の一番身近なコーチにさえ、
「来年、あいつはすべらない。あいつはもう潰れる。」
と毎年言い続けられていましたから。

でも、駄目だ、駄目だ、と言われながら、
ポンと成績を出して見返すのが凄く面白かった。
常識を覆す喜び、非常識はいつか、常識にもなる。
(中略)
僕はスケートのエリートでもなんでもなく、
実は世間からはずっと否定され続けたスケーターだったんです。

そんな清水の唯一の味方が、父親でした。だが、そんな否定的な声に囲まれていたからこそ、清水は輝かしい成績をおさめることが出来たのです。強烈な反骨精神と既成概念に囚われない柔軟な発想、身体に対する豊富な知識は、父親から学んだものです。

強くなる選手というのは皆、親が一生懸命

清水の父親は、従業員たちにこんなことを語っていたそうです。

オレは、宏保がスケートをやるのを見るのが生きがいなんだ。
他の人はカラオケだとか付き合いだとかお酒だとか言って、うつつを抜かしているけど、
あんなものの何が面白いのかね。
オレは本当にいいものを授けてもらった。
あと何年生きられるかわからないけど、こんな嬉しいことはないぞ

清水は父親が亡くなった後、通夜の日も夜も黙々と走りこんだそうです。
「親父は、きっとそうしろと言うに違いないから」と。

清水は自身の父親について、改めてこう語っています。

やっぱり、他のお父さんと違うので恥ずかしい時期もありましたよ。
(中略)
でも、強くなる選手というのは皆、親が一生懸命なんです。
優秀なコーチにつかせたといっても、結局、親がどれだけ子供に興味を持っているかだと思う。
そこから出発しないと、子供は自信を持って前に進むことは出来ません。

清水宏保の育て方から学べること

  • 子供の適性を見抜いて、向いていることを実践させる。
  • 貪欲に学びつづけること。プロであるかどうかは関係ない。
  • 否定的な声があることで、強烈な反骨精神と既成概念に囚われない柔軟な発想を育てることが出来る。
  • 強くなる選手というのは皆、親が一生懸命。
  • 親が子供に興味がなければ、子供は自信を持って前に進むことは出来ない。

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