書評「文春ジブリ文庫 ジブリの教科書 ホーホケキョとなりの山田くん」-あまり語られないスタジオジブリで最も「暴力的」な作品-

スタジオジブリの作品で最も好きな作品は何かと聞かれて、「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「紅の豚」「魔女の宅急便」「おもひでぽろぽろ」といった作品を挙げる人は多いと思います。しかし、「ホーホケキョ となりの山田くん」を挙げる人は、ほとんどいないのではないのでしょうか。いしいひさいちの長期新聞連載四コマ漫画を原作に、1999年に公開された「ホーホケキョ となりの山田くん」は、スタジオジブリの作品の中でも、特に興行成績のよくなかった作品ですし、もしかしたら最も人気のない作品かもしれません。そして、スタジオジブリの作品の中で、最も作品について語られる機会が少なかった作品かもしれません。

しかし、「ホーホケキョ となりの山田くん」は、特定の人々にとても高く評価された作品でもあります。「ふぞろいの林檎たち」の脚本を手掛けた山田太一さんは、当時作品を観て「高畑監督の最高傑作だ」と語ったそうです。日本テレビの会長を長年務めた氏家齊一郎さんは、スタジオジブリの作品の中で一番好きな作品として「ホーホケキョ となりの山田くん」を挙げていました。ちなみに、スタジオジブリの作品の中で、唯一MoMA(ニューヨーク近代美術館)のパーマネントコレクション(永久保存作品)に加えられているのが、「ホーホケキョ となりの山田くん」なのですが、その事を知っている人はどのくらいいるのでしょうか。

本書、「文春ジブリ文庫 ジブリの教科書 ホーホケキョとなりの山田くん」は、高畑監督作品の熱烈なファンである、爆笑問題の太田光さんをナビゲーターに、当時話題になった斬新な水彩画タッチの画面がいかにして生まれたのか、そしてあまり語られる事のなかった作品の背景について、高畑監督や当時のスタッフのインタビュー、そしてナビゲーターに起用された太田光さんや美術家の奈良美智さんなどの作品に対する寄稿、鈴木敏夫プロデューサーのインタビューなどから、謎の多いこの作品について、様々な角度から読み解こうした1冊です。

長い人生航路で一番怖いものは何ですやろ?

本書には様々なインタビュー、寄稿文が掲載されているのですが、どの文章よりも、爆笑問題の太田光さんの書き下ろしが素晴らしい。高畑監督作品の熱烈なファンということもあり、じっくり作品を分析し、自身の感性を基に鋭く読み解いた上で、独自の意見を述べています。

太田さんは「暴力と日本人」というタイトルで、「ホーホケキョ となりの山田くん」という作品を解説しています。「暴力」というタイトルは、一見すると、この作品に最も似つかわしくない言葉のように思えます。何しろ、公開当時は「適当」という言葉を全面に押し出して、宣伝された作品です。しかし、太田さんはミヤコ蝶々さん演じるキクチババが結婚式で語ったこのセリフが、映画全体のテーマを現しているというのです。

「ところで、長い人生航路で一番怖いものは何ですやろ?
大嵐ですやろか、激流ですやろか、
実はみごとに凪いた鏡のようなおだやかな水面です。」

いつも通りの平和に見える普通の生活全てに、暴力と命を落とす穴が存在している。その事を作品を通じて伝えたかったのではないか。太田さんはそう分析します。冒頭でのの子がスーパーに置き去りにされるシーン、スーパーの売場から少し離れた喫煙所のベンチ。のの子はそこで自分より幼い男の子が親からはぐれ、ポツンと座っているのを見る。高畑監督は子供が置き去りにされている恐怖を絵で表現する。座っているベンチの大きさにくらべて、子供の身体を小さく描き、子供が座るべきものでないという事を示し、恐怖を表現したのだ。

映画の中で唐突に現れてハッとする、ぐにゃりと曲がったガードレールの下に置かれた供養の花が現れる場面。太田さんは、この場面を「高畑監督が最もこの映画の中に入れたかった絵ではないか」と指摘します。この絵で高畑監督が表現したかったことは何か。太田さんは、こう考えています。


日常の中にこそ暴力がある。

映画にはこんなシーンがある。深夜爆音を立てて住宅街を走り回る暴走族へ、たかしはヘルメットをかぶってしぶしぶ注意しに行く。勇敢に立ち向かうわけではない。本当は見て見ぬふりをしたいのに、家族を守らないわけにはいかないから遠巻きに近づく。しかし、たかしではなく別の人物が不良を説得し、たかしは何もせずに事態は収束する。たかしは傷ついて、一人公園のブランコに座り、勇敢に立ち向かうことも出来ず、言い負かす事も出来ず、逆に殴られることもない。たかしはブランコに乗ったまま、ヒーローになった自分を妄想する。妄想が終わったたかしは、家族の元に帰っていきます。

太田さんは、このシーンだけでなく、高畑監督が「凪」と表現したのは、「現代の日本の姿」ではないかというのです。平和に見える普通の生活に、暴力や命を落とす穴が隠れているのに、人は見て見ぬふりをして過ごしている。そんな事を伝えたかったのではないかというのです。

以前、北野武さんが「笑いと暴力は表裏一体」というような事を語っていたことがあります。笑いを考えることは、暴力の事を考えることと変わらない。そのような事を言って、北野武さんは次々と暴力的な作品を生み出してきました。太田さんは、笑いのプロとして、笑いの裏に潜む暴力性を鋭く見抜いたのではないかもしれません。

「いやし」ではなく、「なぐさめ(み)」

高畑監督は「ホーホケキョ となりの山田くん」を、どのような意図をもって制作していたのでしょうか。映画音楽を制作した矢野顕子さんにあてた音楽メモに、作品にかける思いが記されています。一部引用して紹介します。

いま、ヘンにくそ真面目で、理想や観念と現実のギャップに折り合いをつけられず、漠たる不満をかかえて、生きている現実感をなくしている人が多いような気がします。そういう人たちは、子ども時代はもちろん大人になっても、さまざまな「ファンタジー」の世界にひたるのが好きです。日本のアニメは、こういう「ファンタジー」の世界に人を閉じ込めて、架空の現実感に身をまかせる機会を提供してきましたが、そんな「あの世」でなく、この世で「もう少しラクに活きる」ためにアニメも役立っていいのではないか。そして「いやし」ではなく、「なぐさめ(み)」を提供すべきではないか。子どもに「夢と希望」を与えるべきものとされてきたアニメも、もともと大人のための漫画がそうだったように、「現実」を受け入れつつそれを楽しむことで人を生きやすくするような作品がもっとあるべきだ。そう思ってこの「となりの山田くん」に取り組んでいます。

この音楽メモが書かれたのは、1999年より前です。今より20年近く前に書かれた文章ですが、現在の日本の事を言い表しているようにも読めます。昨今、「君の名は」「この世界の片隅に」といったアニメがヒットしましたが、両方共「あの世」の事を具体的に描いた作品です。高畑監督が指摘していた事は、2016年以降さらに加速し、「ファンタジー」の世界に浸る大人は増える一方です。

2017年になっても、「ホーホケキョ となりの山田くん」は、異色の作品として位置づけられています。しかし、一見平和に見える生活の裏側を、ユーモアや柔らかいトーンの絵で表現したこの作品は、もしかしたら2017年の今こそ観られるべき作品なのかもしれません。

僕は本書を読んで、改めて「ホーホケキョ となりの山田くん」を観なおしてみたくなりました。この作品を「分からない」と敬遠している人ほど、本書を読んでみることをおすすめします。読み終えたら、「ホーホケキョ となりの山田くん」を観なおしてみたくなるはずです。

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