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「風立ちぬ」は宮崎駿が自分の妻に向けて作った映画だ

      2013/12/06

先週末、子供を両親にあずけて、「風立ちぬ」を映画館で観てきました。以前、nishi19 breaking newsでは、「風立ちぬで描かれるのは宮崎駿という人の半生」だと書きましたので、僕は映画館に「宮崎駿は自らの人生をどう描いたのか」を観たくて足を運びました。

しかし、僕の予想は半分当たっていて、半分外れてました。
予想が外れた理由は、主人公の妻となる菜穂子です。「風立ちぬ」が僕の予想以上に「菜穂子」の映画だったからです。

宮崎駿はどのように仕事に向き合ってきたのか

「風立ちぬ」の堀越二郎は、美しい飛行機を作るために、自らの持てる力を尽くして働きます。美しい飛行機を作ることに全てを捧げようとするその姿は、アニメーションに全てを捧げた宮崎さんとも重なります。

また、「風立ちぬ」に登場する人物も、宮崎さん自身の人間関係と重なります。特に二郎が勤務する会社の人間関係は、東映動画時代の人間関係を思い起こさせます。二郎の良き友人でありライバルでもある本庄は、高畑勲さんやルパン三世を作った大塚康生さんといった盟友たちの姿と重なって見えました。

二郎の夢に登場し、「力を尽くして生きなさい」と語るカプローニは、スタジオジブリの由来となった「Ghibli」という飛行機を作った人物です。宮崎さんはカプローニの姿に、アニメーションを作るきっかけとなった、宮崎さんがアニメーションに興味をもつきっかけとなった、ディズニーや「白蛇伝」の作者や手塚治虫さんといった人々の姿を重ねたのではないのでしょうか。

なお、この映画には過去の映画のオマージュのようなシーンがいくつか登場します。二郎が腹をすかせた子供にシベリアをあげようとしたところ子供に逃げられてしまうシーンは、「魔女の宅急便」で雨の中必死でパイを届けた後「私、ニシンのパイ嫌いなの」と言われるシーンを思い起こさせます。

ラストシーン間際で零戦やカプローニが作った飛行機が青空高く飛び立ち、空高く飛んでいる飛行機の群れの中に消えていくシーンでは、「紅の豚」に登場する「飛行機の墓場」を連想させます。こうした細かいシーンからも、「風立ちぬ」が今までの仕事を振り返って作られた作品であることが分かります。

映画を観ていて伝わってくるのは、
宮崎さんの「自分はアニメーションを作る仕事に、こうやって取り組んできたんだ!」という強い自負です。
ただ、観終わってひとつ疑問が残りました。
宮崎さんは誰に「自分の仕事」の事を伝えたかったのでしょうか。

宮崎駿は誰に向けて「風立ちぬ」を作ったのか

宮崎さんの映画は、今まで特定の人に向けて作られてきました。例を挙げると、「千と千尋の神隠し」は宮崎さんの友人でもある日本テレビの奥田プロデューサー(Always 3丁目の夕日のプロデューサーでもあります)の娘さんに向けて作られた作品です。特定の人に向けて作られた作品が、大衆の共感を呼び、大ヒットを記録してきました。では、今回の映画は誰に向けて作られたのか。しばらく考えて、僕はこの人に向けて作ったのではないかと思いました。それは、宮崎さんの奥様です。

「風立ちぬ」には、二郎の妻となる薄幸の少女菜穂子が登場します。菜穂子は病気と闘いながら、仕事に取り組む二郎を支えようとします。美しい飛行機を作ることに全てを捧げようとする二郎が宮崎さんなんだとすれば、そんな二郎を健気に支えようとする菜穂子は、宮崎さんの奥様なのではないのでしょうか。

宮崎さんの奥様は、以前「紅の豚」(だったと思います。)を作り終わった後に、鈴木敏夫プロデューサーを喫茶店に呼び出し、こう語ったそうです。

宮崎を返してください。
もう十分ですよね。

「ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎 駿×宮崎吾朗~」というドキュメンタリーで語られていましたが、宮崎さんはアニメーションを作る仕事に全てを捧げたがゆえに、ほとんど家に帰らなかったそうです。仕事に全てを捧げる夫を支え続けてきた奥様にも、心に秘めた想いがあったと思います。宮崎さんは「風立ちぬ」という映画を通じて、自分をここまで支えてくれた妻のことをどう思っていたのか、伝えたかったのではないのでしょうか。

その後、「千と千尋の神隠し」の後、鈴木さんに宮崎さんの奥様はこう語ったそうです。

あの人は、一生続けますよね。

なぜラストシーンはセリフが変わったのか

「風立ちぬ」のラストシーンは、庵野秀明さんのアイディアで、アフレコの段階でセリフが変わったそうです。ラストシーンは、二郎が菜穂子に対して感謝の言葉を述べます。もしかしたら、変更前のラストシーンのセリフは、「すまなかった」「ごめん」といった懺悔の言葉だったのかもしれないと思いました。宮崎さんが奥様に向けた言葉だとすれば、あながちありえない話ではありません。奥様に感謝の言葉を述べるシーンを観た時、高倉健さんが主演した「あなたへ」に同じシーンがあったことを、思い出しました。

なお、ラストシーンでカプローニは二郎に対してこう語ります。

君はまだ生きねばならない


このセリフは、カプローニの言葉を借りて、宮崎さん自身に投げかけたメッセージだと思います。宮崎さんにとって「風立ちぬ」という作品は、自身の仕事を振り返り、ずっと支えてくれた妻に感謝の言葉を述べた上で、残り少ない人生でやり残した仕事に取り組むため、自らを奮い立たせるために作った作品なのではないのでしょうか。

追記

「風立ちぬ」のラストについては、以下のサイトに答えが書いてありました。
『風立ちぬ』で宮崎駿が考えた、もうひとつのエンディング(ねとぽよエージェント @comajojo)

鈴木「宮さんの考えた『風立ちぬ』の最後って違っていたんですよ。三人とも死んでいるんです。それで最後に『生きて』っていうでしょう。あれ、最初は『来て』だったんです。これ、悩んだんですよ。つまりカプローニと二郎は死んでいて煉獄にいるんですよ。そうすると、その『来て』で行こうとする。そのときにカプローニが、『おいしいワインがあるんだ。それを飲んでから行け』って。そういうラストだったんですよ。それを今のかたちに変えるんですね。さて、どっちがよかったんですかね」

鈴木「やっぱり僕は、宮さんがね、『来て』っていってた菜穂子の言葉に『い』をつけたっていうのはね、びっくりした。うん。だって、あの初夜の晩に『きて』っていうでしょう。そう、おんなじことをやったわけでしょ、当初のやつは。ところが『い』をつけることによって、あそことつながらなくなる」

鈴木「だけど三人とも死んでいて、それで、『来て』といって、そっちのほうへ行く前に、ワインを飲んでおこうかっていうラストをもしやっていたら、それ、誰も描いたことがないもので。日本人の死生観と違うんですよ。そこが面白い。要するに、これは高畑さんなんかもしきりにいっているんだけど、日本人の死生観って西洋と違って、いつもそばにいて死んだ人が見守ってくれているわけでしょ。ということは、『来て』じゃない。それが日本人だった。(〜略〜)だから、最初の宮さんが考えたラストをやっていたら、どう思われたんだろうかと」

引用元はこちらの書籍だそうです。

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