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書評「サムライブルーの料理人 3・11後の福島から」(西 芳照)-Jヴィレッジの再生なくして日本サッカーの更なる発展はありえない-

   

1993年のJリーグ開幕以降の日本サッカーの隆盛を陰から支えた施設が、福島にありました。その名は、Jヴィレッジ。1997年に誕生した日本サッカー初のナショナルトレーニングセンターで、天然芝のピッチが10面、人工芝のピッチ1面、フットサルコート、テニスコート、フィットネス施設に屋内アリーナ、プール、そして5,000人が収容できるスタジアムに、ホテル、2つのレストランも併設された巨大スポーツ施設です。

Jヴィレッジは、男女のサッカー日本代表、アンダー世代の年代別代表から小学生チームの合宿、そしてJFAアカデミー福島というチームの選手達はこのJヴィレッジで寝食を過ごし、将来の日本代表を夢見て練習してきました。そして、プールやフィットネス施設は地域住民の方が主に利用し、レストランは地元の人々の憩いの場にもなっていました。

しかし、そんな状況は2011年3月11日起こった東日本大震災で一変します。Jヴィレッジのある福島県双葉郡楢葉町と広野町は、福島第一原発から半径20km圏内にあったため、住民は避難することを余儀なくされます。また、Jヴィレッジの施設は、福島第一原発の作業員の待機所として使用されることになったため、グラウンドには作業員の車が停車し、グラウンドの脇には防護服がおかれたりと、震災前の風景とは一変してしまいました。

サッカー日本代表専属シェフの福島での活動

しかし、こんな状況にも関わらず、一人の男がJヴィレッジの復興を信じて、福島の復興を信じて立ち上がります。その人は、西芳照さん。サッカー日本代表の専属シェフとして、日本代表を食事の面から支え続けてきた功労者です。

そんな西さんは、東日本大震災以降東京に一時避難していましたが、2011年9月にJヴィレッジに戻り、施設内のレストラン「ハーフタイム」の営業を再開させます。また、11月には広野町内に、Jヴィレッジにあったもう一つのレストランと同じ名前の「アルパインローズ」というお店をオープンします。

本書「サムライブルーの料理人 3・11後の福島から」は、西さんが3.11以降どのような取り組みをしてきたのか、サッカー日本代表の裏話とあわせてまとめた1冊です。

平坦な歩みではないレストランの経営

本書には、西さんの3月11日以降の歩みが綴られています。その歩みは、決して平坦なものではありませんでした。開店したものの、2つのレストランの経営に苦しみます。なかなか思うように増えない客足だけでなく、そして復興が進むにつれて、Jヴィレッジを拠点として活動する人が減ったことによって、レストランの利用者はますます少なくなり、「今月で終わりにしよう」と思う時もあったそうです。

そんな時でも、西さんはお弁当の販売、ランチ販売形態の見直しなど、出来ることをコツコツとやっていきます。スタッフの時給を下げて、周りのレストランより安い時給で働いてもらった時期もあるそうです。しかし、スタッフの中には「もっと安くてもいいです」と西さんと働くことを選んだ人もいたのだといいます。

当然、並行してサッカー日本代表シェフとしての活動も続けていきます。そして、西さんをはじめとするスタッフの努力のかいもあって、少しずつ客足は戻り、どうにか2013年6月にはスタッフに賞与も出せるようになったそうです。そして、今も「ハーフタイム」と「アルパインローズ」は、営業を続けています。

もしかしたら、本書は東日本大震災がなければ、出版されなかった本かもしれません。西さんの活動から、改めて東日本大震災が与えた影響と、福島をはじめとする被災された方々がどんな思いで生活をしてきたのか、そしてどんな取り組みをされてきたのかを、1人でも多くの方に知ってもらえればと思います。

2018年の営業再開を目指すJヴィレッジ

Jヴィレッジは2018年の夏に一部営業を再開し、2019年4月までに世界に誇るトレーニングセンターとしての再生を目指して、一歩一歩歩みを進めています。僕はJヴィレッジの再生なくして、日本サッカーのさらなる発展はないと思っていますし、Jヴィレッジが使えなくなったことは、近年のサッカー日本代表の成績や、アンダー世代の成績に少なからず影響を与えていると思います。

西さんが好きだったという、青々とした天然芝の上で、スポーツを楽しむ子供たちの風景を見られるのはもう少し先のことになるかもしれませんが、その時を信じて、Jヴィレッジの今後の動向を見守っていきたいと思います。

※Jヴィレッジの再生計画書「『新生Jヴィレッジ』復興・再整備計画」についてはこちら

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