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書評「礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史」(梅田明宏)

   

静岡市と合併した清水市があった時代、清水市は”サッカーの街 清水”とか”日本のブラジル”などと言われていました。なぜ、清水市がサッカーの街と呼ばれるようになったのか。それは、市民に愛されたある少年サッカーチームがあったからです。サッカーチームの名前は、清水FC。風間八宏、長谷川健太、反町康治、堀池巧、藤田俊哉、ACミランでトレーナーを務めた遠藤友則など、現在の日本サッカーを支える人材を数多く輩出したサッカーチームです。

清水FCは1人の小学校教員によって設立されました。教員の名前は、堀田哲爾(てつじ)。堀田さんは清水FCを設立後、日本サッカー協会の理事としてサッカーの普及に貢献し、清水エスパルスの設立にも大きく貢献した人物です。近年の日本サッカーの礎を築いた人物と言えます。しかし、堀田さんの功績は、清水の外では、あまり多くの方には知られていません。

堀田さんはどのような功績を成し遂げたのか。堀田さんはどのような人物だったのか。そして、堀田さんの功績はなぜ多くの人に語られる事がなくなってしまったのか。本書「礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史」は、清水FCと堀田さんの人生を振り返りつつ、現在に至るまでの日本サッカー発展の歴史を丹念に振り返った傑作です。

失われた清水FCの歴史

清水FCは地域の少年サッカーチームから選ばれた者しかプレーすることが出来ず、清水FCでプレーすることは地域に住む子供たちのあこがれであり、全国少年サッカー大会で優勝し続け、海外遠征で連戦連勝を続けた清水FCは街の誇りでもありました。そして、華麗にパスをつなぎながら攻撃を仕掛ける清水FCのサッカーは、全国のサッカー関係者のあこがれであり、目標でした。

しかし、堀田さんの念願だったプロチーム、清水エスパルスの設立が堀田さんの人生を狂わせます。清水FCという基盤のの上に作られるはずだった、ピラミッドの頂点となるべき清水エスパルスが、運営会社と地元との連携が上手くいかず、当初思い描いていた構想が実現出来ずにいた頃、堀田さんは公金の横領が発覚し逮捕。表舞台から姿を消すことになります。

求心力のある人材を失った清水のサッカー界は、急速に勢いを失っていきます。清水エスパルスは経営危機に直面し、運営会社の変更を余儀なくされます。少しずつ絶対的な力を失いつつあった清水FCは、静岡市との合併をきっかけに、選抜チームの結成に反対していた人の意見もあり、長い歴史に終止符を打ちました。そして、堀田さんは2012年に亡くなります。現在の清水の姿を見て、堀田さんならどう思うでしょうか。

清水FCのアイデンティティは残っている

しかし、清水FCのアイデンティティまでは失われたわけではありません。

1対1でボールを取られまいとボールをキープするときも、個人戦術の「まわりをみること」ができないものにはすぐボールを奪われてしまうし、相手によってスピード方向をかえる事もできない。
2対1とか4対2の場面練習をしなくても個人の戦術、グループの戦術の指導はいつの練習の場でも必要なことであり、日本サッカーの最も不足している点である。(中略)
とにかくドリブルのうまい選手を育てたいとか、パスワークの出来るチームとか、走るサッカーで勝負とか、一方的指導者のエゴで子どもを左右してはならないのである。(中略)
技術にあった戦術、技術にあった体力、その中で個性をいかしていくプレーヤーが、いま最も必要な時期に来ている。

この言葉を読んだ人は、川崎フロンターレのサポーターなら風間監督の言葉じゃないかと思うかもしれません。しかしこの言葉は、堀田さんが「戦術練習はいつから必要なのか」という指導者の質問に対して、「何歳からであっても、戦術練習は必要だ」と答えた上で語った言葉です。僕は現在の川崎フロンターレのサッカーは、清水FCで培ったことに、風間さんのエッセンスを加えて成り立っているサッカーだと思います。清水FCのアイデンティティは、当時の選手たちにしっかり受け継がれている。僕はそう思っています。

本書には、日本サッカーが現在直面している課題を解決するヒントがたくさん詰まっていると思います。600P以上ある書籍ですが、まずは手にとってみてください。

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