nishi19 breaking news

スポーツでもっと楽しい未来を作る

ちょっと足りないくらいがいい広告。書評「表現の技術 -グッとくる映像にはルールがある-」(高崎卓馬)

      2013/07/16

表現の技術―グッとくる映像にはルールがある

本書は、サントリーオールフリーの「これでいいのだ」、「オランジーナ」、JR東日本が震災後に行った「行くぜ!東北」のキャンペーンなどを手がけた著者が、文字通り「表現の技術」についてまとめた1冊です。

広告を「見ようと思わなくてもみてしまうもの」にする

まず、本書の冒頭で著者は、広告についてこう書いています。

見ようと思わなくてもみてしまうもの。だから面白くなくてはいけない。

何かの本で、広告は「作っている人が考えているより、見られていないと思ったほうがいい」という話を聞いたことがあります。本書では、広告はそもそも興味がなければ見られないものだという前提の元、人々に見てもらうために、商品やサービスだけでなく、広告もコンテンツとしての力を強く持って「探してでも見たくなるもの、教えたくなるもの」にしなければ意味が無い、と書かれています。

人のココロを動かすためには、まず驚かす。

では、広告を「見ようと思わなくてもみてしまうもの」にするにはどうしたら良いのでしょうか。著者は根本的な考えとして、「人のココロを動かす」必要があると説明しています。人のココロを「振り子」にたとえ、「人の心の揺れを、意識的に作り出すことが表現(広告)には求められる。」と。

では、人の感情を動かすためには、どうすればよいのでしょうか。著者は「心のガードを下げさせるために、絶対に”オドロキが必要”」と語ります。本書では、「人は笑う前にも、泣く前にも驚いている。」と指摘し、「オドロキ」が表現の中にあるかどうかを強く意識しておく必要がある、と書かれています。

広告の「つくり方をつくる」

では、人のココロを驚かせるためには、どうやって広告を作ればよいのでしょうか。本書には、様々な”表現の技術”が語られていますが、僕が本書で最も印象に残ったのは、「つくり方をつくる」という章に書かれていた、著者が「自分がフィットしたつくり方を作る」「つくりたいものに自分が近づくための方法」を考えるためにとった行動です。

自分の好きなもの、心が動いたものを集める。広告も映画も新聞も絵ハガキも絵本も小説の文章もバーのマッチも、なにもかもを集めまくりました。

そしてそれをファイルして、単にネタとして保管するのではなく、なぜ面白いのか、これをどう使うとおもしろくなるのかをすべてメモしていきました。

そしてそれをファイルして、単にネタとして保管するのではなく、なぜ面白いのか、これをどう使うと面白くなるのかをすべてメモしていきました。

それは、自分の整理を客観的に理解することと同時に、面白いものがなぜ面白くできているのかを考えるヒントになり、ひとつの感覚を表現にまで延長する訓練になりました。

これと全く同じことをしていたのが、「バザールでござーる」のCM制作や「だんご3兄弟」「ピタゴラスイッチ」を作ったことで知られる佐藤雅彦です。佐藤雅彦さんは、30代になってからクリエイティブ局に転属し、CMを作るようになった変わり種です。

転属当初は、30代になってからクリエイティブ局に転属してきた佐藤さんに仕事を頼む人はほとんどいなかったそうですが、佐藤さんは空いた時間を使って、「つくり方をつくる」ための行動を始めます。

自分の仕事をつくる」という書籍に、佐藤さんがとった行動が語られています。

彼(佐藤雅彦)は社内の資料室へ通い、
世界中のCMに目を通して、
その中から自分が面白いと思うものを
ビデオテープにまとめはじめる。

じきに、自分が魅力を感じたCMには、
共通するいくつかの規則(ルール)が
あると気づくようになった。

この作業は三ヶ月ほどつづけられて、
結果として佐藤氏は、面白くて印象に残るCMに
共通する二三種類のルールをまとめるに至ったという。

その後のヒットCMのほとんどすべてが、
この時にまとめたルールからつくり出されたものだと語る。

CMでもWebでも同じだと思いますが、自分が何か作ろうと思ったら、自分が何が面白いと感じるのか、きちんと理解しておく必要があります。なぜなら、最終的に作ったものを良いか悪いか判断するのは、自分だからです。自分が”いい”と感じるためのものを作るためには、まず自分を知る。その事を改めて本書を読んで実感しました。

なぜ最近の広告が話題にならないのか?

では、ここまで考えられて作られた最近の広告が、なぜ話題にならないのでしょうか。それには、三つの理由があると思います。

一つ目は、「ルールを破る広告がない。」からです。
本書には、「固定観念」や「通例」といった頭のなかの勝手なルールを破り、人々に驚きを与え、感動させるための方法論が書かれていますが、肝心の広告がルールを破っていません。

それには様々な理由がありますが、最も大きな理由が、企業のコンプライアンス(法令遵守)重視の姿勢です。企業が他社と違うことをすることや、ルールを破ることより、他社と同じ事をすること、ルールを守ることが広告でも重視された結果、人々に驚きや感動を与える広告が少なくなってしまいました。これは、音楽や映画にも言えることです。

(「広告作る奴が、空気を読んでどうする。」「広告を他の会社と横並び意識で作ってどうする。」という意見もあると思いますが、それはまた別の話だと思いますので、ここでは取り上げません。)

二つ目は、「広告がユーザーに選ばれる時代になった」からです。
「キュレーションの時代」という本の書評にも書きましたが、現代は、ユーザー個人個人が自分にあった情報を”キュレーション”(無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。)する時代です。Google Adsenseのように、個人個人のニーズや興味にあった広告だけを、ユーザーは見る機会が増えたことで、広告の作り手も「ユーザーに見られる(選ばれる)ための広告を作る」ことを優先した結果、人の心を揺さぶるような広告は減ってしまった、と感じます。

最後に三つ目ですが、世の中「広告しすぎている」のかもとしれません。
最近、糸井重里さんが、「広告コピーは、商品にちょっと足りないくらいがいいと思うからです。あんまり足りないのは努力不足。書きように困るのは商品以前。」とツイートしているのを読みました。

普段生活していて、商品広告を見ないことはありません。インターネット、テレビ、新聞、雑誌、看板。渋谷の街を歩けば、アーティストやサービスを宣伝するトラックまで走っていて、時には商品宣伝のためのイベントが行われていて、商品やサービスを体験することができたりします。

しかし、こんな疑問も残ります。商品やサービスを知ってもらうために告知することはよいことですが、様々な所で広告を出すことによって、逆に広告が広告を殺し合っている気がするのです。それが、広告を作る側の問題なのかは、僕はわかりません。

ただ、「探してでも見たくなるもの、教えたくなるもの」が広告のあるべき姿とするならば、広告しすぎるのは、受け取る人から探す機会や教える機会を奪っているような気がします。それが最近の広告が話題にならない理由なんじゃないか。本書を読んでいてそんなことを感じました。

最後に、本書のエピローグに書かれている田井中邦彦さんの言葉を紹介します。


なんかええな、と思った。あとで振り返るとそれは広告やった。
それでええねん。

関連記事

「表現の技術」に関連する記事としては、こちらがおすすめです。

おすすめ商品

この記事を読んで、興味を持った方はこちら

著者が脚本・プロデュースを務めた映画「ホノカアボーイ」はこちら

この本を読んで思い出したのは、「イシューからはじめよ」に書かれている言葉でした。

労働時間なんてどうでもいい。価値のあるアウトプットが生まれればいいのだ。
(中略)
「一生懸命にやってます」「昨日も徹夜でした」といった頑張り方は「バリューのある仕事」を求める仕事には不要だ。

この本に書かれているメッセージとは反対のことを言っているように思えますが、
「バリューのある仕事」をするための考え方としては、共通点があると思いました。

佐藤雅彦の例で紹介した西村佳哲さんの著書「自分の仕事を作る」は、
「仕事とは何か」を様々な観点から説明した名著です。

 -