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書評「棟梁―技を伝え、人を育てる」(小川 三夫)

   

「宮大工」という仕事をご存知でしょうか。寺社建設を手がける大工さんのことですが、最近宮大工を目指す若者が増えてきていると聞いたことがあります。「手に職を身につけたい」と考える人が、宮大工がもつ精巧な技術に憧れるのは理解出来ます。

そんな宮大工の最高峰にいたのが、小川三夫さんです。法隆寺最後の宮大工・故西岡常一の内弟子を務めた後、「鵤工舎」を設立、数々の寺社建設を手がけた方です。鵤工舎の弟子の育成は、会社組織と比較すると変わっています。住み込みで働き、昼も夜も寝食を共にします。プライベートな空間はありません。朝は食事の準備、昼は仕事、夜は刃物を研ぐ。24時間、365日、どっぷりと仕事に浸かります。

小川さんは、どうやって技術を後進に伝えていったのか。小川さんは、なぜこのような方法を採用したのか。本書「棟梁―技を伝え、人を育てる 」は、「鵤工舎」の棟梁を務めた小川さんが、どのように技術を伝え、人を育てていったのかについて語った1冊です。

「育てる」と「育つ」は違う

小川さんはなぜ、住み込みで働き、昼も夜も寝食を共にします。プライベートな空間はありません。朝は食事の準備、昼は仕事、夜は刃物を研ぐ。24時間、365日、どっぷりと仕事に浸かる。この方法を人を育てる方法として採用したのか。小川さんの言葉を紐解くとよくわかります。

体から体に技や考えや感覚を映すのが職人の修行だ。
善し悪しは別にして、修行していると、今親方は何を考えて、次にどうするか、今必要な物は何か、どの道具を用意しておけばいいか、と考えるようになるし、感じ取るようになる。鉋のかけ方、鋸の引き方、高いところを歩く時の姿、みんな「ああやるのか」と思って見ているから、動作まで親方に自然に似てくるな。歩きかたも似てくるほどだ。

言葉は常に後や。
自分の体が考えのとおりには動かないことにまず気がつかなならん。だから修行するのや。言葉や考えが役に立たないことにも気がつかなならん。無心で研げるようになって初めて刃物が研げるようになる。じゃあ無心ってどういうもんかと考えるかも知らんが、刃物が研げたときや。答えは刃物や。いい刃物を研げる体ができた時に、それがやってくるんだ。

手先の器用な子は頭も器用や。要領よくやって褒められる仕事もあるだろうが、うちらのように一つ一つを確実に積み重ねていく仕事には、そういうものはいらないんだ。

「鵤工舎」の食堂には、こんな言葉が貼ってあったそうです。

他人はどのような仕事をしているか
知りたい 見たいは 山々なれど
そこは我慢
自分のやり方 考えを
工夫することこそ 職人の道
技は口を開いては 学び取れん 伝われん

そして、小川さんはこう考えています。

「育てる」と「育つ」は違う。
「育てる」というのは大変な仕事や。
導き方によっては、どこへ行ってしまうかわからんぞ。人の人生が掛かってるんや。無責任にはできないわ。俺のような大工は人の育て方など勉強をしたこともなければ、勉強しようなんて考えたこともない。
しかし、「育つ」となれば話は別や。育つための環境と機会を用意してやればいいわけだ。学びたい者は来て、その中で自分でやっていけばいい。時間はかかるし、近道も早道もないけども、自然に育っていくやろ。
それなら俺も出来る。

物事に近道はない

本書には、技術の伝承、教育、といった、どんな組織もかかえる問題点に対するヒントがたくさんつまっています。「石の上にも3年」という言葉を否定する意見を最近はよく目にします。頭ではなく、身体をつかって覚えるような仕事も減り、その意見は正しい部分もあるのかもしれません。でも、本当に人が何かを身につけるということは、生活を含めて、どっぷりと何かにひたり、手本となる人を真似ながら、繰り返し繰り返しやる。これしかないのだと思います。

僕は、以前も本書を読んだことがあります。ただ、「育てる」という事を、最近とても簡単に考えている人が増えている気がして、改めて本書を手に取りました。

人は「育てる」のではなく、「育つ」のだという言葉は小川さん以外の方の言葉としても、聞いたことがあります。しかし、実際に人を預かり、日々の仕事のなかで実践してきた人の言葉は、重みがあります。技術の伝承、教育といったテーマについて悩みを抱えている方、解決策を探っている方には、ぜひ読んで頂きたい1冊です。物事に近道はないのです。

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