「最強」な男は「無敵」ではないのだ。書評「武道的思考」(内田樹)

本書「武道的思考」は、合気道7段、居合道三段、杖道三段の武道家でもあり、「凱風館」という道場ももつ著者が、自身のブログや各種媒体で武道について書いた文章をまとめた1冊です。

「敵がいない」から無敵

本書を読みながら考えたのは、「無敵」という言葉の意味についてです。

「無敵」という言葉には、2つの意味があると思います。1つ目は、「敵がいない」。自分自身のやりたいことや、考えていることを、脇目もふらずに突き進む。誰かを打ち負かそうとするのではなく、自分自身の向上や快楽のために、努力する。この状態にあるとき、敵がいるとすれば、過去の自分です。つまり、他人は敵にはならないのです。

「敵を作らない」から無敵

2つ目は、「敵を作らない」。あえて争いの場に飛び込んだり、相手より自分の力や考えのほうが強いと主張したりすると、自分の力や考えに従わない人は、「敵」になります。本書によると、本当に強い武道家は「争いの場には飛び込まない」のだそうです。争わないことが無敵につながるのだということを、よく理解しているのだと思います。

「最強」な男は「無敵」ではない

「無敵」という言葉と、「最強」という言葉を同じ意味だと考えている人は多いと思います。誰よりも強いから無敵である。その考えは間違ってはいないと思いますが、本当にそうなのでしょうか。「最強」という考えを突き詰めて「無敵」になった場合、「争うべき敵がいない」という状態を目指すということを意味します。

ただ、戦いによって「無敵」だと主張しようとすると、徹底的に自分が敵より優れていることを、示し続けなければなりません。敵を倒せば、次の敵が現れ、その敵を倒せば、また次の敵が現れる。その繰り返しです。それは、本当に「無敵」だと言えるのでしょうか。

宮本武蔵は、敵を倒し尽くしたのではなく、敵と戦うことをやめたことで、無敵の男として、語り継がれるようになりました。現代における「無敵」とはどういうものなのか。「敵がいない」状態に身をおき、「敵を作らない」という状態とは、どういう状態なのか。もう少し自分の中で、じっくりと考えてみたいと思います。

関連記事

家を見れば人となりが分かる。書評「ぼくの住まい論」(内田樹)
楽しんで仕事している人は応援したくなります。書評「みんなの家」(光嶋裕介)
未来を考えるために歴史を学ぶ。書評「あの戦争と日本人」(半藤一利)

関連商品