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生きねば。書評「戦争と広告」(馬場マコト)

   

戦時中、クリエイティブ職に従事する人はどのように生きたのだろうか。

本書「戦争と広告」は広告のアートディレクターが、「もし当時自分が依頼されたらどうするか」という独自の視点で、彼らの足跡を追った1冊です。

「戦う広告」作りに生きる場を見出す

山名文夫は昭和初期から挿絵画家として、「サンデー毎日」「女性」といった雑誌に女性の絵を描いていた。その絵は、「ayaoの文字を紙に書いて飲み込むと、モダンガールになっれる」と婦女子の間で騒がれるほどだった。

しかし、挿絵画家を目指していた山名は、自分の絵の世界と共鳴する小説家との出会いが果たせず、やがて広告の世界に入っていく。山名は資生堂に入り、当時の資生堂社長だった福原信三のもと、広告を作っていく。その後、山名は独立。自らの力を発揮しようとしていた矢先、時代は戦争へ突入していく。

新井静一郎は、森永製菓に入社後、上司の小泉武治と一緒にチョコレートの広告を作っていた。ところが、時代は軍国主義まっただ中で、商品広告を手がけていた彼らが、自らのスキルを活かす場は失われていく。そこで、彼らは「報道技術研究会」を結成し、「報道技術研究会」に委員長として招かれたのが、山名だった。新井と小泉と山名は、太平洋戦争が激化する中、「戦う広告」作りに自らの生きる場を見出していく。

「報道技術研究会」に目をつけたのが内閣情報局であり、内閣情報局の下で情報統制を担当していたのが、大政翼賛会だった。その大政翼賛会で窓口に立っていたのが、花森安治。花森はバビリオ化粧品の宣伝を担当した後、戦地に赴いたものの、病気を患い、帰国後は療養生活を送っていたところ声をかけられ、大政翼賛会入りしていたところだった。

自分の職務を全うする

依頼主の花森、作り手の山名と新井が手を組み、当時の宣伝制作者の技術を尽くして、「戦う広告」作りは進んでいきます。しかし、広告制作者たちは、自分たちがやっていることの本質に気づいてはいなかった。

本書には、こんな1文があります。

山名文夫は、太平洋報道展で書いたことが、
ほんとうに起こってしまったことに呆然としていた。

彼らは、あくまで「自分のスキルを発揮する場」として、「戦う広告」作りに加担している。「戦う広告」を作ることが、当時最もお金も表現の自由も仕事であり、広告制作者たちはそれを求めたにすぎません。ただ、自分の職務を遂行した姿は、宮﨑駿が「風立ちぬ」で描いた、ゼロ戦を設計した堀越二郎の姿とも重なります。

3者3様の終戦後の生き方

終戦後、山名は資生堂に戻り、化粧品の広告を作るだけでなく、多摩美術大学の教授として、後進の教育に尽力した。新井は、電通に入り、宣伝技術局長、常務取締役を務めた。花森は、「暮らしの手帖」を創刊し、消費者の立場から考えた「豊かな暮らしとは何か」について、誌面を通じて問いかけ続けた。3者3様の終戦後の生き方の理由には、3者3様の戦争観があったのだが、それは本書を読んで確かめて頂きたい。

著者は「自分も彼らと同じ立場にたったら、同じように「戦う広告」を作っただろう」と、本書の中で述べています。この言葉の受け止め方には賛否両論あると思いますが、時代の流れに翻弄されながら、精一杯生きようと努力した先人たちに敬意を表した言葉だと、僕は受け止めました。

本書が発売されたのが、2010年。
しかし、東日本大震災後の今こそ、読まれるべき1冊です。

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