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アートディレクターは、最後の一撃でトドメをさすのが仕事。作業することが仕事じゃない。書評「亀倉雄策」

      2014/11/30

東京オリンピックのポスターを作ったことで知られる、アートディレクター亀倉雄策。東京オリンピックのポスター以外にも、グッドデザインのロゴマーク、長年愛されている明治のチョコレートのパッケージ、NTTのロゴマークを作ったことでも知られる昭和を代表するアートディレクターです。

本書には、亀倉雄策が書いた様々な文章がおさめられているのですが、とにかく強烈なのが、亀倉雄策が「アートディレクターとはどういう仕事か」ということについて語った、「最後の一撃」という文章です。

亀倉雄策が考える「アートディレクターとは」

亀倉雄策は、「最後の一撃」という文章の中で、アートディレクターという仕事について、こう語っています。

私はアートディレクターは方向を決めて、しかも結果を計算し、
その成果に責任を持つ人だと考えている。
そうして最後の一撃でとどめをさすのが、
アートディレクターの一番大切な仕事だと思っている。


だから最後の一撃がデザイナーだったり、写真家だったり、
コピーライターだったりというのはおかしい、
というより優れたディレクションではないと思う。
ところが、こういうディレクションしか出来ないディレクターが実に多いのである。

最後の一撃で、とどめをさす。その仕事の例として、亀倉は東京オリンピックのポスター制作について語っています。。ポスターで使われているアスリートが走りだした写真を撮影するとき、なんと亀倉は撮影に立ち会わなかったのだといいます。普通、アートディレクターならば、写真撮影に立ち会うはずです。なぜ、亀倉は写真撮影に立ち会わなかったでしょうか。

撮影に立ち会うことが、アートディレクターの仕事ではない

亀倉は、まずこのプロジェクトで重要なことは、「オリンピック組織委員会からポスターの制作のすべてを自分に任されたことだ」と語っています。委員会からは具体的な注文はなく、すべてを亀倉に任せました。亀倉はまず、「オリンピックとは一体何か?」という明確な思想を、自分の創造の場で具体的に打ち立てる必要があると考えました。そして亀倉は、ここがアートディレクターの一番大切な所だと考えています。そして、亀倉がオリンピックを思想的にとらえ、ポスターにしようと考えたのが「ダッシュ」でした。

亀倉は、撮影に入る前に自分の希望を伝えました。「写真のバックにスタンドが写るのはまずいから、夜撮影してバックを黒くして欲しい。1000分の1秒くらいの速いシャッターで瞬間を止めて欲しい。そして長い望遠レンズで、ダッシュの選手に距離感がなく、ベチャベチャにくっついているように撮る。これだけが私の希望だからよろしく、そして方法は2人で相談して欲しい」。そして亀倉は、撮影には立ち会いませんでした。

出来上がった写真は50枚。その中から、他の写真と違ったリアルな1枚を亀倉は選びます。そして、そのネガの左下のすみの部分を拡大したのが、ポスターです。

亀倉は、「リアルな1枚を選び出す」、「ネガのすみを拡大する」、これが「最後の一撃」なのだと語っています。それは、撮影に立ち会わない理由にも関係しています。

なぜ、亀倉は撮影に立ち会わないのか。亀倉は、こう語っています。

私はなぜ撮影に立ち会わないか。理由は簡単だ。
立ち会うとその場の苦心が理解されすぎて、選択の冷酷な目が失われるからである。
この冷徹な透視力があってこそ、最後の一撃ができるのである。

選択の冷酷な目。これは、アートディレクターに限らず、仕事で最も重要なことだと思います。頑張ったから。努力したから。時間をかけたから。こうした「プロセス」にとらわれず、あくまで出てきた「アウトプットの質」にもとづいて、よいか悪いか冷静に判断する。これが重要なのです。

現場で作業していると、「作業したことに対する満足感」に浸ってしまい、写真や作られたものを判断するとき、良いか悪いかを判断するのではなく、当時の思い出や時間を振り返ってしまい、物の良し悪しだけを純粋に判断出来ないなんてことも考えられます。

作業している現場にいない、ということは楽をするということではありません。現場にいないことで、「あいつは何で現場にいないのだ」という思いを、現場の人々に抱かせることにも繋がります。よい人に思われたくて、ついやることがないのに、ただ現場にいる。亀倉は、現場にいることを悪いと言っているわけではありません。アートディレクターには、「現場で撮影に立ち会うより、もっと重要な仕事がある」わけで、その重要な仕事をするために、現場に行く必要がなければ、現場に行かない。ただ、それだけなのだと思います。

以前、糸井重里さんがcakesのインタビューで、こんなことを語っていたのを思い出しました。

ぼく、引越の手伝いなんか、ぜんっぜんしないですから。
よその中小企業を見てると、そういうところでものすごく張り切る社長さんがいるんですよ。

小さなデザイン会社の社長さんと釣りに行くときなんかに、
向こうが「きょうはちょうど会社の引越なんですよねえ」と困り顔してたら、
「そんなの、ちゃんと休まなきゃだめだよ」っていってあげるんです。

その社長さんから「糸井さんはそれで通してるんですか?」って聞かれるわけ。
そしたら「うん、こころはすっごく痛むんだよ」って(笑)。

「その痛みを、おれはもっと稼いで返すから」って、力にしなきゃだめなんですね。
引越で役に立たないおじさんやってるよりは、
給料だけは遅配しないぞって。そっちが社長の仕事ですから。

亀倉がなぜ素晴らしい作品を残すことが出来たのか、その理由が、この「最後の一撃」という文章に、すべて詰まっている。読み終えて、そんな印象を受けました。

自分の作品とは

亀倉は、「最後の一撃」の最後に、こう語っています。

私は自分の”手”で作ったという実態以外のものは、
自分の作品だとはいわないのだ。

稀代のアートディレクターの考えがよく分かる1冊。
広告やWebに関る人々や、これからアートディレクターになりたいと考えている人々は、ぜひ読むことを進めます。

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